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広島に鉄工ができた理由

悲劇のヒロシマ

戦争により一面焼け野原となった、広島。一時期「植物すら生えない場所」としても、言われたほどです。鉄工を進めるのは、夢のまた夢の話だったでしょう。
しかし現在、広島は日本随一の工業都市となりました。中には、広島に本社を置く有名企業もあるほど。復活も絶望的だった広島が立ち上がるまでを追いかけます。

復活の狼煙

時は1951年。当時の広島知事は、広島の産業を活性化させるための取り組みを行います。元々広島は、軍需産業に依存していました。しかし戦争が終われば、軍需産業は無用になります。そこで当時の知事は、農林水産・商工業の復興に取り掛かりました。
特に力を入れたのが、工業でしょう。宇品地区に臨海協業地帯を増築。1955年には企業誘致に積極的に取り掛かりました。結果、見事な復活を遂げました。鉄工業・造船・自動車においては、日本トップレベルといっても差し支えはないでしょう。

企業を誘致

広島に誘致された企業の中には、鉄鋼を得意とする企業もございます。当時の企業は、新たな事業のために工場建設を目指していました。しかし条件にピッタリ当てはまる場所は、中々見つかりません。そんな中で唯一条件に当てはまったのが、広島の工業地だったのです。
広島には数々の鉄鋼企業が集結。元々レベルの高い技術力を持っていたので、広島が鉄工都市になるのに時間はかかりません。戦後復興という時代で鉄工が必要とされていたのも相まり、急速に成長したのでした。

元々鉄に強い都市だった

ただ誘致があったとはいえ、広島は元々鉄関係に強い都市でした。先程にも述べたように、以前は軍需産業が盛んだった都市です。
弥生時代には、既に鉄工業が盛んだったと言われています。実際に広島にある遺跡からは、製鉄のために使われたとされる跡が発見されました。つまり広島が鉄工に取り組んだ歴史は、短く見積もっても1000年単位に及ぶことになるでしょう。1000年も間培ってきた技術が凝縮されたのが、広島で生産された鉄工です。鉄の利便性に気がついた、弥生時代の人の先見の名には驚くしかありません。